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ブログ:ココログ

2008年6月14日 (土)

理想と現実…?

 例えば野球なら始めた頃の少年は誰でも「四番・ピッチャー」とかを目指すんだろうな。最初から「8番ライト」に憧れるヤツはそうそういないだろうよ。ISHI も子供の頃はよく「王貞治物語」とか読んで(将来は絶対こうなるぞ!)とか思ったけどね(笑)

 現実はなかなかそう上手くは行かなくて「いや、お前はやっぱ8番なんだよ」とか「先発はムリだ。1イニングス中継ぎなら行けるかも」とかね。でも若いうちは認めたくないんだろうなぁ…。「4番を打てないなら辞めてやるわい」ってこだわるならそれも良いけど、もしかしたら本当は野球が好きだったんじゃなくて4番にあこがれていただけなんかもしれない。  

 「だったら史上最強の8番を目指そう!」って思えれば野球をやり続ける意味はあるだろうし「草野球で4番になれる!」ってのも立派な選択だ。その中でどう現実的に選択し生きてゆくかが大人になる事なのかもね。

 でも基本的には自分の今、立っているフィールドで自分をどう生かすかを考えた方が良いと思う。そこが我慢できないならもう、自分のチームを作るっきゃないね。でもこれは大変だぞ!理想ばっかし高いとね。ポキっと折れちゃう。気がついたら誰も周りにいなくなってたりしてね(…??)その時自分を真正面から見つめる勇気があればいいのだけど…。

 な~んてえらそうな事書いてしまったが、おれ自身は全然ダメだね(^^ヾなんか見送り三振ばっかしてるんじゃないかと…もっと思い切りバット振って内野ゴロでトリプルプレーでも食らわなきゃだめだな。まっ、現実に目を背けず頑張れ若者!いっし~はまず目の前のゴロを丁寧に捕球しろ…ってとこかな…野球の話ではないので念のため(笑)。

2008年5月12日 (月)

母の日

 …だったんだね、昨日は(汗)。いやいや、すっかり忘れておったわい。夕食を一人で食べながら夜のニュース聞いて初めて知ったと言う…

 ってか大体分かりにくいわい!多くの人もGWが終わりやっと日常に復帰した頃では…?こう続けざまにイベント(?)があっても覚えられないぞ!例えば母の日は6月の一週目にして父の日は7月の一週目にしてくれたらもう少し覚えやすいと思うんだが…。

 母がくも膜下で倒れたのは4年くらい前だったと思う。生存の確率は60%くらいでさらに五体満足で帰ってこれるのはそのうちの半分くらいと言われた。奇跡的に助かり先日の公演も観に来てくれた。人の命と言うのは不思議なものでどんなに元気でも神様が「もう、こっちに来なさい」と思うと連れて行ってしまうのかもしれない。逆に「あなたはまだまだやる事があるんだよ」と言うと生かされる場合もあるのかもしれないね。そう考えると俺ももっと生かされてる意味を考えないといけないのかもしれないね。楽しい事ばかりじゃないけど自分の未熟さに落ち込んでる場合ではないかもな…。。

 と、いう事で今さら忘れたというのはカッコ悪いので明日は一日遅れで何気なく花でも贈ってあげる事にしよう。でもネ、ホントは「…の日」ってあんまり好きじゃない。だって毎日が「…の日」であるべきだと思うからだ。…って今さら言ってもまったく説得力ありませんよね(^^ヾ

2008年5月 6日 (火)

受験…

 先日の公演で主演の一人の女の子は高三なので受験勉強に専念してもらう事にした。本当は伸び盛りでますます研鑽してほしいとこだが演技に夢中になりすぎて受験失敗でもされたら将来のある子だし申し訳ない。久々に連絡をしたら「まったく勉強手につかないんです~」と返信があったので「大学に入れば色々な人と出会えてきっと、今後の人生にもプラスになると思うから頑張りなさい」と大人ぶって(?)お説教メールをしておいたけどね…まぁ、気持ちも分からんでもない。

 まったく青春の貴重なひと時に何ゆえに将来役に立つかもわからん勉強などせにゃならないのかと言われればその通りなんだろうが、それも時間の経過と共に価値あるひと時に思える日も来るかもしれないね。

 ISHIは受験はそれほど苦ではなかったような気がする。何と言っても地獄の部活からも引退出来て髪も伸ばせるし、この上は何が何でも大学に入って遅ればせながら青春を満喫するぞと自分に言い聞かせたものだった。

 一番不安だったのは11月の終わりに試験があり(付属だったので一般より早かった)推薦が決まるまでの2ヶ月だった。一応安全圏にはいたのだが正直志望学部ではなかったし、その後の面接が終わるまでは確実ではないのでバイトする気にもなれなかったし、かといって勉強する気にはさらになれなかった。

 さてなんとか無事に大学には入れたんだが、ではそれでエンジョイライフを送れたかと言うとまったくそんな事はなくて、金はない、女にはフラれる、バイトは安い、学校はつまらん…など思い描いていた花の青春とはかなり違っていたのだが(笑)良いやつもよろしくないヤツとの出会いもあり、それはそれで輝けるひと時だったのかもしれない。

 結局、行ける環境で行く気があるヤツは頑張った方が良いだろうし、行く気がなければ違う人生を歩んだ方がいいんじゃないかな。ISHIはたまたま音楽がやりたかったから4年間と言う時間を有効に使えたけど、別に大学に行かなくたって出来なくはなかっただろうしね。だけど先の女子高生は絶対行った方が良いと思うな。そして俗世にまみれる前に是非「真理と正義」を追求して欲しい。あっ、合コンやろうね!ってメールに付け加えるの忘れてたよ!

2008年5月 4日 (日)

ママチャリ(ジジチャリ?)購入!

 10年使い続けたチャリが壊れた。一応マウンテンバイクってヤツだった。ギアの部分が磨耗してしまい交換するなら買った方が得と言われた。

 安物だったがそれはそれで想い出がある。前の会社に勤めていた時、一気に仕事がなくなった時期があった。どうしようかと悩み、こうなりゃ飛び込み営業するしかないと決めた。電車だと色々不便があるので車輪取り外し可能なマウンテンバイクを車のトランクに乗せ、車で目的地まで行ってからチャリで回れば楽だと思った。楽だと思ったら意外に大変でチェーンがなかなか上手く取り付けられず汗びっしょりになった。しかも当然門前払いを喰う事ばかりで落ち込む毎日だった。その後、鬼のように忙しくなり馬車馬のような日々が続いたが、仕事が無い時の焦りに比べたら楽なものだった。

 5~6年前はお盆休みの前に早朝4時出発と言う現場があった。会社で寝てれば良かったのだが、一度家で仮眠して終電で行けば良いと思ったのが大失敗!気がついたら深夜0時半を回りすでに終電もない時間に…(×0×)あわてふためき、窓を開けると…ガ~ン台風(幸い雨はそれほど激しくなかった)!されどマンションも購入したばかりで、ここでタクシーで行くのもなんとも悔しい。意を決して雨合羽に海パンを履き蕨から東中野に…(傍から見たらかなり不気味だったに違いない)。笹目橋を渡ったあたりで雨が降り出したので購入したばかりの傘を片手で差して運転したら今度はブレーキが上手く操れなくなり、電柱に激突…買ったばかりの傘は3分もせぬうちひん曲がり使い物にならなくなってしまった(涙)。

 そんな思いもあったので名残惜しいが、やはりおニューを購入する事にした。おニューは見た目よりも使い勝手重視!いわゆるママチャリを購入した。なんつったって前のカゴにも荷物が詰めるし後ろにも荷物が乗る。あまりカッコは良くないが乗り心地は悪くなかった。買う時自転車屋のお兄さんに「どうせなら10年使えるやつがいいんだよね」と言ったらビックリされてしまった。なんと1シーズンで使い捨てる人も多いそうだ…。

 自転車を買い換えるごとに1ジェネレーションが過ぎてゆく。おそらく10年は付き合うであろうこのママチャリ。これに乗りながら僕はこの10年どんな景色を眺める事だろう?多分今まで見たこともない様な景色に出くわすのかもしれない。僕はまた自転車を漕ぎ続けるだろう。

 

2008年4月24日 (木)

B型万歳!…??

 「週刊夜想会」の撮影に立ち会った。キャスターの佐羽英クンと和田幸奈ちゃんのトークの後、僕も出る羽目になった。結構キンチョ~するのだ。私的な事ならまったく構わないんだが何と言っても公のモノだし、お偉方さんも観ているようだし…極力余計な事は言わないように…と心がけてはいるんだが、おそらくまた余計な事言ってるかもしれない(汗)。あとは編集で上手くカットしてくれる事を望む…??(28日くらいにアップ予定なのでユーチューブを検索されたし。)

 さて冒頭で二人が血液型の話をし始めたのだが、なんと二人ともB型なんだって!えぇ~二人とも優秀なんで意外だったね(←これってB型冒涜?)。なざなら…いっし~もドBであるからだ!おかげで僕が登場してからは次の作品の告知をするはずだったんだが、すっかり脱線してB型話題で盛り上がってしまった(スミマセン!俺が出たとこ全部カットしてほしいです(汗))

 20代半ばまでは血液型とかまったく興味なかった。そんなんで性格割り切られてたまるかよと…そもそもそういう発想がB型らしいそうである。たしかに「こいつ変わったヤツだなぁ」ってのはB型である事が多い。ついでに良く「いっし~は何型なの?」と聞かれて「B型だよ」と答えると「あぁ、やっぱりねぇ~」と言われる…一体何が“やっぱり”なのさ~!

 んでB型同盟の(?)英くんから「B型 自分の説明書」って本を借りて帰りの電車の中で読んだらB方の特質が沢山上げられていたので以下抜粋↓

・集団行動の中で一人だけフラフラ散歩したりする

・突然、何かをしだす

・自分がわからなくて迷子になる

・会話に主語がない

・話が飛ぶ

・くだらないことに一生懸命

・四字熟語にあこがれる

・人の話聞かない

・人との会話中に思い出し笑いをする

・腹立ったらモノにあたる。投げる→その際、壊れてもさしさわりのないものを選ぶ

 …などなど、ほんの一説を掲げてみたが、途中で本を閉じてしまった。だって大体当たってるんだもん(××)。いや、B型にも良いB型と悪いB型がいるにちがいない。少なくても自分は良いB型になろうと日々心がけていたつもりなんだが…こうやって冷静に分析すると間違いなく後者に属しているのではないかな?周りの皆さんゴメンナサイ。でも、こうなったら開き直るしかないね!俺が悪いんじゃないんだ!B型が悪いのさと…??

 でもね、B型同士ってのはなかなかウマが合ったりするんだよ。って言うかね、お互い、相手の話を聞いてないからだと思うんだけどね(笑)

2008年4月20日 (日)

カッコよく老いぼれようゼ!

 公演が終わりはや2週間…「あぁ~終わったわい」と役者たちは満足してるんだろうがこちらは残務処理で頭が痛いワイ(×0×)。それでも観に来てくれた人達が「とても良い作品でした」という感想をいただくと心が和む思いだ。TVを観ているとレベルの低い作品ばかりだ。今回の作品は若い世代にはちょっと難しいだろうし年寄りたちにはある意味、陰鬱とさせる内容だけに興行的には難しい部分もあったのだが…それでも評価してくれる若者がいるという事はこの国の未来も捨てたものではないなぁと感じる。

 さて今回制作の立場で非常に腹立たしかった事を暴露しちゃおうかな!何と言ってもムカつくのは自分の事は棚に上げ、エラソーに振舞う一部の老人たちだ。本番中、若者たちに説教を振る舞うのは見逃すにしても、それに夢中になり自分の出番を忘れた日には手が追えんわい!(ちっとは反省しろ~!)。

 だがそういうジジィ達は、反省どころかまるで自分たちがいたからこそこの作品が成り立ったような勘違いをしているんだから呆れてしまう。さらに彼らはパンフレットに書かれた自分たちのプロフィールやら誰が誰の下に書かれたかだけで文句を言ってくる。「なんで俺の写真がコイツの下にあるんだ!」と…(あんたはそういう評価なんだよ)。

 だけど俺も甘いんだな。そういう彼らに哀れみを感じてしまう。彼らは肩書きで精一杯、自分を誇示するしか出来ないんだろう。稽古中、若者に説教を垂れたり、プロフィールでいかに自分が素晴らしい人物であるというしか権威を保てないのだ。なんとも泣ける話ではないか…。

 そのような偉大な輩と同列に自分の事を書くのは誠に恐縮だが、ISHIは6月に舞台に立つ(制作はやらないよ!)。我ながら足を引っ張ってるのが分かるんで、もう自分の子供くらいの年齢の子に教えを請う。「もぉ~、いい加減に覚えてくださいよぉ」と呆れられて、ふがいなく思うが実際出来ていないんだから仕方ない。「ごめ~ん、もう一回だけ教えてよん」と頭を下げる。ホントに申しわけなく思ってるんだが、…例のジジィたちを見ていたらまだ俺の方が見込みあるかもしれないと自分では思うんだけどね…(笑)。

 話を戻そう。実際ステージで伝えるべきは??ISHI流に言えば行き着くところ音楽も演劇もダンスもハートでありほとばしる汗なんじゃないかな。そして伝えるべき相手は重箱の隅をつつく評論家でもマスコミでもなく、これからの文化を担う若者であるはずだ。

 今回、ISHIがステージを観てて「コイツ良いな!」と思ったのは老人たちにボロクソにけなされながら、笑顔を絶やさず頑張った新人たちばかりだった。彼らはきっと今回の自らの至らなさや未熟さを感じながらも舞台という神域に立つ事の魅力を感じますます進化してゆくに違いない。願わくば彼らが年食っても、説教垂れるような貧しい精神にはなって欲しくはないよね。…まっ、どうだっていいんだがね(←舞台中のセリフ)…。。ではまたね!

2008年3月30日 (日)

ピアノリサイタルに行きました!

今日は有楽町の松尾ホールというところで三浦京子さんのピアノリサイタルを聴きに行った。昨年の夜想会公演「愛と不安の夏」で色々とお世話になり、今回も「三人姉妹」のチラシを折り込みさせてもらえるって事もあったのだが、何より一年ぶりに三浦さんの旋律を聴けるのが嬉しい。

演奏曲はバッハの「イタリア協奏曲 BWV971」。ショパン「ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ単調《葬送》」。ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」。どの曲も素晴らしかったが個人的には《葬送》が圧巻だった。

なんかもう、演奏会って言うよりね、交霊術とでも言うべきか、三浦先生の繰り出す旋律はショパンの当時の想いが伝わってくるようで…なんか時代を通り越して時空旅行したような感覚だったね。

 普段はクラシックなんて聞かないんだけど三浦先生のピアノは特別だな。あっ「先生なんて言わないでください」と前に言われた事、あったけど…(笑)。たまには良いモノを観ないとね。それもCDとか映画だけじゃなくてやっぱナマで観るなくちゃね。…そんな意味で4月3日から始まる「三人姉妹」も皆さん、是非観に来てください(^^)v

2008年3月 6日 (木)

3月ですね…

 最近はパソコンで仕事する事が多いので、どうもプライベートではあまり使いたくなくなってしまった…ゆえに日記もなかなか書けなくなってしまいました。

 近況を書くとね、最近は自分がハッピーになるより周りの若い子がハッピーになるのを見るのが嬉しいよ。先日も内の若い子TVのオーディションがあって一緒に東映本社に行って来たんだけど見事選ばれたんで、本人以上に僕の方がはしゃいでしまった。何と言っても若い子には可能性があるからね。頑張ってる子には道すじをつけてやりたいと思うよ。こういう感覚は30代ではなかったなぁ。30代はいかに自分が輝くかばかりを考えていたような気がするからね。

 そう言えば僕も20代の頃はチャンスがあったっけ。ある尊敬するシンガーのプロデューサーにデモテープ送ったら気に入ってもらい色々アドバイスを頂いた。僕の愚直な音楽にも「キミのこことここはとても素晴らしいよ。この辺はもうちょっと変えた方がより良くなると思うよ」…。。結局、その人は辞めてしまったので、僕の夢も幻と化したが(?)「あぁ、こういう世界でもちゃんと見てくれる人はいるんだなぁ」って思った。だからいまでもそういう人と出会えた事を感謝している。

 一人ひとりは未熟でも、そのパワーが結束すれば大きな力になることもある。どうせやるなら時代を変えるくらいの事やりたいよね。そのためにはまずは自分の足元をキッチリ見つめないとね。ちなみに僕は最近「もう、だめだぁ~」とか言わないように心がけています(^^ヾ

2008年2月18日 (月)

一旗あげる!…

 地方の子達のワークショップに立ち会った。実際僕らの仕事に限らず何かをしでかそうと思ったら地方の子達はやや不利な点は否めない。とは言え、全てのものを捨て東京に来るには相当な覚悟が必要だと思う。僕はまぁ、生まれも育ちも埼玉で東京は近いので地方で悶々としている人達の気持ちがわかるわけではない。とは言えこれも困ったもんで「東京に来ればなんとかなる」と勘違いしている人も結構多いようだ…。

 成功する秘訣…??そんなの俺にもわからんわい。そうだなぁ、良い人(色んな意味を含めてね)とめぐり合う事が大切かなぁ。お金は価値ある使い方をした方がいい…と、えらそ~な事はいくらでも言えるんだろうが、自分が20代の時にそういう事を言われても理解出来ないかもしれない。目の前のキラキラ輝くものに飛びついていたかもしれないね。でもそれで後で失敗したぁ~と気づいたらそれはそれで意味ある事なのかもしれないよ。まぁそんな事をしているうちに人生なんてあっという間に過ぎ去ってしまうのかもしれないね。

 それより若い頃は「たはは、また失敗しちゃった(^^ヾ」と笑い飛ばせるような力強さを養えればいいんでないかな?そういうポジティブ志向の人の方が年喰ってからも輝いてるぞ!…と言うのは失敗ばっかの自分自身のエールだったりしてね(笑)頑張る若者たちの未来を楽しみにしてます♪

 

2008年2月16日 (土)

いっし~大台にのる…(^^ヾ

 ついにこの日が来てしまったというか…不肖いっし~もついに四十路を迎えました(^^ヾ。う~む、40代ですかぁ…どうあがいてもオジさんですねぇ(笑)。いわゆる先輩がた曰く「出来れば30代のうちに結婚しとけ。40を境に一気にモテなくなるから…」なんて言葉を数多く頂いたが、それはモテた人がいう事でいっし~にはあんまり関係なさそうですねぇ…??俺は今まで不遇だった分きっとこれからは薔薇色の40代になると期待してるんだけどねぇ…(!?)

 30代の頃はひとつ齢をとるたび重みを感じたけど、もうあきらめの境地と言うかね…だってなるようにしかならないでしょう(笑)。いきなし大人になれって言われても、そうそう人は変われるモンじゃないし。ただ俺は不器用ながら与えられた環境の中で時に落ち込み時に悩みながらも愚直に、でも少しだけしたたかに生きてゆこうと思ってます。愛すべき人達に囲まれながら結構楽しい人生送っているんじゃないかと思うし、もっと楽しく生きてやろうと思ってます(^^)

 って事で最後に仕事場で女優陣から頂いたバレンタインチョコレートを自慢しちゃうぜ!「ありがと!」って言ったら「中はカラ ですから!」って言われてしまったが…??

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2008年1月 7日 (月)

火の玉

 正月気分もようやく抜けてきた。なかなか寝付けなかったので真夜中にTVを付けて見ると映画版「スクール・ウォーズ」をやっていた。「スクール・ウォーズ」と言えば僕が高校の頃に話題になったドラマだ。僕が見たのは再放送で高三の頃、部活を引退して来たるべく大学受験に向けて将来への期待と不安におびえながらもひたすら見当違いかもしれない努力をしていた頃に胸を熱くして見た記憶がある。試験当日は主題歌の「HERO」(麻倉未稀)を聞きながら本番に臨んだものだが、そのかいあってか志望学部ではなかったものの(?)なんとか大学に滑り込め、その後多くの出逢いがあったわけで、今の自分の人生にかかせないドラマのひとつと言って良いかもしれない。

 作品はやっぱりTV版の方が良いかと思っていたので映画は観ていなかった。滝沢先生は山下真司しかありえないと思っていたし、“川浜一のワル”こと大木大介は松村雄樹、先代番長は小沢仁志さん(先日、Vシネのロケで初めて逢ったがすっかり太っていてビックリしたよ(^^ヾ)…その他、岩崎良美もイソップも良かったね。とは言え、映画版も予想以上に良くてついつい最後まで見入ってしまった。

 火の玉のように生きるのは十代だけではないハズだ。ただ大人になると多少複雑になってくる。一本勝ちをめざすよりポイントをひとつひとつ稼いで行くような生き方も必要…?。自分の不器用さとあわただしく過ぎてゆく日常の中で「俺は一体、何のために生きているんだろう?」と立ち止まってしまう事もシバシバ。しかし人間、誰かに必要とされる事はこれ以上ない幸せなことなのかもしれない。大局を見失わなければ日々の地味な日常も決して無駄ではない。一本の映画や演劇が見た人の生き方を変えてしまう事もある。そう思うとあらためて身が引き締まる思いを感じる。

 さて映画版「スクールウォーズ」は久々に僕の胸を熱くしてくれたが、ラストの大黒摩季の「HERO」だけは幻滅である。いや、彼女の歌自体は悪くないのだが、あの魂の無いチャカポコ打ち込みサウンドを聞いたら一瞬に感動も吹き飛んでしまった。音楽ってこの20年で進化したんだろうか?いや、僕の感性が古いだけかもしれないが…いくら作品が良くてもラストがあんなんじゃ酔えないぞ!まだ未熟ながら作る側の方にいる立場として何とも複雑な気分になってしまった…。

2008年1月 1日 (火)

明けました!

 2008年新年明けましておめでとうございま~す。皆さん、素敵な新年の幕開けを迎えましたでしょうか?すっかり更新が遅くなったこのブログですが決してサボっているわけではありません。ただ以前より仕事でパソコンと向き合っている時間が多くなったので、プライベートではちょっと避けている部分もあるかも知れませぬ…。とにかく今年もよろしくお願いいたしますm(__)m。

 ISHIの年末年始

 大晦日

 恒例の早朝年末ジョギング…三日坊主ならぬ一日坊主?でも年末くらいは心身をリセットしたいものです。久々に走りました。最近マジにヤバイんだよねぇ~。絶対太ったもん(T_T)。なんとか歯止めをかけねばと久々に汗を流しました。

 大掃除…今年はベランダの壁もゴシゴシ磨き、カーテンも洗濯したし、換気扇のフィルターも変えたし…かなり好調のはずでしたが、バスルームの清掃までは手がまわりませんでした。ちなみに風水学的にはバスルームを綺麗にする事が男女の情愛の運気に関係あるそうです…2008年も…微妙かなぁ…?

 2008年元旦

 初詣…今年も神田明神に行って来ました。昼間は混んでいるので夕方行ったんだけどやっぱり混んでました。これだけ人が願いごとをすると神様も大変でしょうねぇ(^^ヾちゃんと覚えてくれているのかな?でね、神様に願い事が伝わりやすい秘伝を教えてあげましょう!手を合わせて願い事をかける際、自分の住所と電話番号を伝える事がポイントだそうです!

 今年の目標…えぇ~、これはまた機をあらためて書くことにしますね(^^ヾ基本的には人並みの幸せを得られるように頑張りたいと思っております!ちなみに前厄なんだけどね(笑)…とにかく今年も「ISHIの詩が聴こえる」をよろしくお願いいたしまっす♪」

2007年12月30日 (日)

たまには朝まで・・・!

 前の会社の上司と久々に酒を酌み交わした。7月一杯で退職し「落ち着いたら一杯やりに行きましょう」と言う話をしていたのだがなかなか都合がつかず、ついつい不義理をなしていた。

 丁度、写真撮影の現場が新宿御苑だったので少々遅れて歌舞伎町にて4ヶ月ぶりに再会した。まだまだ小さい会社だが13年もお世話になり、これからと言う時に辞めてしまった。上司は僕より年は下だがよく怒られたり、時にはケンカもした。辛い事も無くはなかったが、今にしてみれば全て必要な過程だったのかもしれない。

 僕はあまり酒は飲めないので、大体一次会で帰るのだが、今日は結局朝まで飲んでしまった。二次会では上司だけでなく、同じ店に来ていた色々な人と話す機会があった。大手企業の幹部から20代の若者、クラブのママらまったく異業種の人達と楽しいひと時を過ごしたが、みんなそれぞれの世界で自分の目標あり、悩みあり、頑張ってるんだなぁと思った。

 同じ年代の人たちや同じ仕事の話をするのも大切だが僕は少々世界が狭かったようだ。いい年だしこれからはたまには一人で飲みに行っちゃおうかな…?。来年はもっと世界観広げます!

2007年12月21日 (金)

年賀状の季節なのです・・・!

 今年も気がつけば残り十日だってさ…うおぉ~早い!何と言っても激動の一年だったので月日の過ぎ去る事を感じる暇さえなかったわい!んで、やっぱりこの季節は年賀状の追い込みの時期でもあるんだが、今年は仕事用と個人用両方作った。(前の仕事は事務にお任せであったが今年はそうもいかない!)仕事用はやっぱ映画の宣伝を兼ねなきゃね!プライベートも仕事っぽい写真を入れているがぐっと硬派で、まったく色気のない年賀状ではあるがいつもやりとりしている人は楽しみにしていて欲しいね。

 さて、年賀状を書く際は必ずひと言添えるようにしている。大体ここ数年は「未だにひとり身ですぅ~」と書いてるんだが、いい加減もらう方も飽きたのではないかと…?でもこの書き方ってなんか我ながら余裕があったのではないかと…そろそろサプライズがあってもいいんではないかと自分では思うんだが…あれっ、誰も期待してないか?(笑)

 しかしもう学生時代から10年以上逢っていない友とも年賀状だけはやり取りしていたりするのだからこれはこれで面白い。「今年こそ逢いたいですね!」とか書きながら「まっ、どうせ逢えないんだろうなぁ…」なんて思いながら書いたりして・・・。しかし学生時代「コヤツは絶対俺より早く結婚したりする事はなかろう」と思ってたヤツが「子供がこんなに大きくなりました!」なんて写真入りの年賀状もらったりすると、何故か敗北意識を感じるのは(?)わが身の心の狭さに他ならない。「きっといつかは俺だって…」と思うこと自体、自己嫌悪感に捉われる…いやいや、きっとコンプレックスこそ人を大きくさせるんだよ(??)

 さて来年は(…ってかこれからは)もっとガツガツ生きてやろうかと思ってます。ここ数年はマイペースばかりを考えたけど、もっとフルスロットに走りたいなぁと。でも見当違いの方向に走ってしまう事もあると思うんでその時はこっそりアドバイスしてくださいね(^^ヾ

2007年11月17日 (土)

スピリッツ

 うちの劇団で新たに「ネットニュース番組をやろう!」って事になり、急いで撮影し公開した。詳しくは夜想会のホームページを覗いて欲しい。これがなかなか面白い。内容もさるところながら若者たちが自分たちで案を企画し実現するところに希望の光を感じる。やっぱり「面白いものは自分たちで作っちゃおうぜ!」って発想がとてもロックしていると思うんだ。

 若い人と出逢う機会が多く刺激を受ける一方で残念な事もある。ちょっとやそっとチャレンジしてだめだとすぐに才能がないとあきらめてしまうひとが多い。そういう人達は「ISHIさんは器用ですもんね!」なんて言うけど、まったく大はずれ。大体ダンスなんて始めたのは30歳になってからだし始めた頃はよく中学生にゲラゲラ笑われたからねぇ。でもあの嘲笑こそが声援だったのかもしれない。とにかくいまだに踊っているよ。

 だから落ち込んだ時は「うふふ、この分ハッピーになれる切符を手に入れられたわい!」と心の中でつぶやくようにしている。中途半端なイミテーションで満足するより時間がかかっても自らリアルな光を放てるような存在になってほしいと若い子たちには言いたい。たった一度の人生だもんね!

2007年11月 5日 (月)

鍛えなくっちゃ!

 先日、試合に出た事を野伏監督に話したら「じゃ、アクションクラスをやろうよ!」って事になって講師になっちゃった(汗)。まぁ先日のスパーリングも4ラウンドくらいまでは戦えたしダンスをやっていたおかげでハイキックも打てたから大丈夫かな(^^ヾもちろん、レッスンではあまりハードな事はやらないけど、フィットネスのボクササイズみたいのだけじゃ物足りないしね~(^^)。何やろうかな、うっふっふ。

 で気合を入れて昨日のレッスンでは腕立てとスクワットもやったらISHIの方が筋肉痛になってしまった(××)う~む、もっと鍛錬せねば…肉体的にも精神的にも…??と考えながら寝る前の一杯がやめられません…。

 

2007年10月29日 (月)

いくつになっても負けるのは悔しいよ

 なんと10数年ぶりにスパーリングをやったよ。しかも総合格闘技。ついでに試合も出ちゃった。ここ10年くらいはダンスにはまってるけどその前は格闘技をやっていたんだ。高校時代は柔道部、20代半ばからはフルコンスタイルの空手をやってたんだけど、やっぱスパーリングとかやると痛いからね(^^)30代になってからは楽しく体を鍛えようと思ってダンスに転進しまたハマってしまった。

 さて最近鬱憤がたまりっぱなしだったのでなんか打破する術はないかと思ってた。そんな時かつて通ったいた気功の道場が武道のクラスも設け、大会を開くという話を聞いたので、たまたま仕事が休める事になったので急遽エントリーする事にした(超無謀!)

 久々に着る空手着…「今まで試合の経験は?何年位前ですか?」と聞かれたので「えっと3年位前かなぁ?」とお茶を濁した。さすがに10年以上前とは言えないでしょう(^^ヾ他の人達はいつも稽古していて顔なじみのようで、ひとりだけ違う流派の道着を着てきた僕はさぞかし「コイツ何者?」と思われたかもしれない。

 さて試合の前に軽く組み手が行われる。いきなり繰り出されるローキック。うお!結構素早い。まともにやってはまずいのでハイキック・後ろ回し蹴りなど目立つ技で威嚇する。へぇ~つかんでいいのか。それなら勝機もある。相手のサイドポジションに入ってからの膝蹴りなどが面白いように決まる。だがそれも最初のうちだけ。4Rくらいにはスタミナがきれてしまった。この後試合なんかやる体力はないわい…

 さていざ試合に出る事になったんだがルールがよく分からない。試合時間は?…顔面は?つかみは?と聞くと「時間は無制限です!ルールはなんでもありです!」だって…ゲッ!

 んで言うまでもないが試合は負けた。ハイキックを交わされ寝技に入ったのだが…僕は寝技での打撃を経験した事が無い。わりと冷静に「さてどうやってひっくりかえしてやろう」かと思っていたんだがいくつかパンチをもらった。「待て」がかかったので再開かと思ったらそのまま負けを宣告されてしまった(××)。

 まぁ10年もやってなくて突然試合に出て勝てるはずが無い。そんな事は分かっているんだがそれでもなおかつ悔しい。自分の負け方があまりにもあっさりとしていたからだ。気迫で負けたというべきだろうか?逆にあきらかに実力差がありながらおくせず強者に立ち向かった人達は輝いて見えた。

 人生も同じかもしれない。たとえ越えられぬ壁があってもそれを乗り越えようとする姿こそ美しい…。このままあっさり生きてあっさり死んでゆくのだろうか?人生は勝ち負けではないかもしれないけど弱い自分には負けたくないとつくづく思ったよ。

 それにしても…いやいや体中が痛いわい(TT)

2007年10月25日 (木)

どうしてこうなっちゃったんだろう…

 昨日の友も今日は敵同士になるって事もあるよね。でもそれがどっちかが確実に悪いってんなら仕方ないけど、ささいな行き違いが互いに猜疑心を生んで最悪な結末になってしまう事もある。一緒に走り続けようと思っていたはずの仲間との別れは何ともやるせない気持ちだ。中間の立場にいながら結果的に何の役にも立てなかった自分の未熟さが歯がゆいよ…。

 話題を変えよう。「いっし~Vシネデビュー!」ってのはどうかね(^^ヾ。先日あるVシネマの撮影現場に立ち会った。ただの立会いのはずだったんだが、たまたま役者さんが足りなくてちゃっかりで出る事になっちゃった(^^ヾその役がね、オーディションの審査員って役なんだ…なんだ、そのままじゃん(笑)。隣にいた太ったプロデューサー役のおじさんがやたらとアドリブを連発して監督も苦笑していた。誰だろうこの人?って思ってたんだけど、撮影の後、遠くからみて「あっ、スクールウォーズの水原じゃん!」って分かった。スクールウォーズ…もう若き日のバイブルだよ!滝沢先生、イソップ、かよちゃん、大木大介…でもISHIは番長だった水原が滝沢先生にお風呂で背中を流してもらい「俺、ラクビー続けていれば良かったよ」と泣きながら語るシーンがたまらなく好きだったな。

 「Vシネマなんて…」って斜めに構える人もいるかもしれないけどISHIは結構好きなのです。勧善懲悪って言うかサ、現代版「水戸黄門」みたいじゃん。あんまり斬ったはったみたいな血みどろのヤツは苦手だけど今回の作品は台本読む限り、人生の哀愁が感じられてとても良質な作品なんじゃないかと思う。

 スタッフもヤクザっぽい役者さんたちも実に礼儀正しい方たちばかりだった。是非この作品成功するといいなぁ…。ISHIもちゃっかり映るかもしれないけれど…内緒にしといてくださいね!だってホントはギャラ高いんだからね…??

2007年10月10日 (水)

ISHIみちのくを往く

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 遅かりし夏休み(?)と取った。せっかくなので念願の(?)一人で旅行する事に決めた。行く先は東北!東北はこれまで2度旅をした事がある。一度目は91年、この時は金は無かったが時間はあったので寝台列車で秋田まで行き鈍行を乗り継いでぐるぐる回った。2度目はその翌年の92年、この時は大学からの親友とふたりでほぼ同じルートをたどった。どうでもいい話だが当時、僕も友も心に思う人がおったが友はその後、めでたく結婚し今や個人で会社を興し世界で大活躍している。ISHIはこの通りさすらいの人生(?)を歩んでおる…(笑)。

 さて今回はあまり時間はなかったので(まぁ金もないのだが)新幹線での移動が多かった。新幹線は実に快適なのだが、その後のバスなどの乗り継ぎが悪く結局2~3時間待たなければならない事も多くややいらついた。この際レンタカーでも借りようかと思ったが世間が3連休だったためかどこのレンタカー屋も車が無く結局あきらめた。だが移動中はのんびり居眠りや読書をする事が好きな僕にとってはやっぱりのんびり電車やバスを使うのが正解のような気もした。

 男鹿半島、八甲田山など行きたいとこは沢山あったが結局田沢湖と十和田湖、そして奥入瀬くらいしか回れなかった。とは言え仕事を除いては関東から脱出したのはほぼ3年ぶりくらいだったのでこれらの景色は十分僕の心を満喫させてくれた。

 雨のせいもあるのだろうが奥入瀬に流れる川の色は以前より澱んでいるように感じた。それでも川は15年前と同じように変わらずに流れていた。15年…随分色々な事があったような気もするが、あっさり時が経ってしまった様な気もする。奥入瀬の渓流はのどかに流れている所もあれば激しい所もある。激しい流れをいくつかの岩が塞き止め新しくかつ新たな流れを作り出す。以前は多彩な流れの美しさに惹かれたが今は何故かこの冷たく激しい流れをじっと受け止める岩に心を奪われる。彼らに心はないのだろうが一体どんな気持ちで激しい流れを受け止めているのであろう。おそらくは相当長い間…またこれからも侵食されて削り取られるまで彼らはこうしてただジッとたたずみ続ける事だろう。

 今度はいつここに戻ってこれるだろう。5年後?10年後?僕の心などはそれまでに人生の激流の中でこなごなになってしまうかもしれない。その時はもう一度ここを訪れたいと思った。また忙しい毎日になりそうだ。

2007年10月 6日 (土)

職人たちの詩が聴こえる

   初めての撮影現場は昔行った事がある格闘技の試合場のようにピリピリしていた。ロケ最終日、この日は山梨市内の万力公園で撮影を行うはずだった。だが雨天のため実施出来ず。かといって撮影しないわけには行かない。急遽甲府市内のアーケードに撮影場所を移すか?あるいは山梨市内の他の場所にするか…?色々な案が出された。しばらくの沈黙の後、監督は「晴れているところまで車を走らせよう。」結局山梨からさらに数十キロ離れた須玉インターまで撮影地点を動かし、幸いそこは雨が降っていなかったため撮影する事が出来た…。

 撮影現場はプロとプロのぎりぎりのせめぎあいだ。照明、カメラマン、録音…時にケンカになる事も珍しくない。だが出来上がった映像をモニターで見ると「なるほど、こういうことだったのか」とうなずく事が出来る。

 現場のクP9250267ルーたちの表情が素晴らしい。彼らはこの仕事が終われば多くはフリーになる。決してP9250279楽な生活ではないはずだ。だからこそ彼らは今、一瞬に己の力、全てを注ぎ込むのだ。

彼らの努力を形にせねばならない。どうやら僕の仕事はこれからになりそうだ。

 

2007年10月 4日 (木)

帰京

 約2週間のロケを終え山梨から帰って来た。9月17日に練馬の光が丘公園でクランクインし、その後、我が母校日大豊山へ。その足で山梨入りした。26日に一旦東京に戻り翌日早朝には茨城の古河へ。さらに翌日は静岡の中田島砂丘に行き真夜中に山梨に戻る。30日にアップの予定だったがあいにく天候が悪かったため2日にあらためて山梨に行き実景を撮影してオールアップとなった。

 この2週間はなんか高校時代の部活の合宿を思い出したよ。もう20年以上前の事だけどね。下級生は朝5時半には起床し「起床です!」と先輩たちに声をかけ朝の陸トレが始まる。その後、午前練、午後練、夜練と続くわけだ。一回の稽古が終わるごとにスケジュール表にマーカーで塗りつぶし「うっふっふ、あと7回稽古をやれば帰れるわい」と同級生と慰めあったりしたものだ。昼休みだって休んではいられない。先輩たちのマッサージをしたり包帯を巻いたり…。夜は夜で先輩たちの道着を洗濯させらりたり…。

 この世界もその意味ではまったく同じ。同室の助監督たちとスケジュールを塗りつぶしながら「あと3日頑張りましょう!」などと励ましあった。

 どうやらこの世界は士農工商のようだ。監督が天皇なら役者さんたちは武士にあたるのかもしれない。カメラマンや照明さんたちは「工」あたりかな。で、うちら制作勢は「商」よりさらに下の身分にあたるらしい…。でもISHIはこういう世界実は決して嫌いじゃないんだ。上下関係っていうかね、そういうのが曖昧な世の中でしょ。久々に高校時代に戻ったような新鮮な気がしたよ(笑)。

 久々に我が家に戻ったら部屋がジャングルのようになっておった。やらなきゃいけない事は沢山あるんだがまずは部屋の掃除からはじめて心をリセットしたい!ギターを弾きたいなぁ。ダンスも踊りたいよ。

 

2007年9月17日 (月)

山梨に行ってきます!

 バタバタした一ヶ月でした。いよいよ明日からが本番だけど正直ISHIはもう疲れたよ。でも責任だけはキッチリ果たすつもりです。では帰ってきたらまた書きますね!

2007年9月 7日 (金)

曖昧な言葉

 「たぶん…」とかね、「…だと思う」って希望的観測の曖昧な言葉はもうキライです!まぁそういうISHIも実はよく使うんだけどねぇ(笑)。時期によると思うけど。期限ギリギリになっての曖昧な言い方は責任逃れみたいなニュアンスで嫌だよね。ついでに言うと何かトラブルがあると他人に責任をなすりつけるのも好きじゃない。部下がミスしたって上司が責任持つくらいの覚悟がないとねぇ。俺はまだまだ新しい仕事では未熟だけど最終的な責任は全部背負い込むつもりでいるよ。いちおう…(←曖昧じゃん!)

 話題を変えます!先日レコーディングでギターを弾かせていただく機会があった。別に僕の音が実際に録音されるわけではないのだけれどマニピュレーターとして参加させてもらいました。10年以上前からお世話になっている我が師匠イマジングの水谷さんという方から連絡があり「ISHIにやってほしいんだ」とありがたいお言葉を頂いたので参加させてもらった。

 ギターってのはやっぱ人生観が出るよね。ジャ~ンとかき鳴らしてみたら「あっ、いい音出すようになったね!」と師匠からお褒めの言葉を頂き有頂天!だがそれも束の間、だんだんとボロが出てくる。「そんなに力強くストロークしなくていいんだよ。もっと自然にゆこうよ」…などなど。なんかここ数年のガツガツ生きてた自分の生き方を指摘されたようで自らの至らなさを感じたけどね…。

 でもやっぱISHIの核は音楽なんだなって再認識で出来て嬉しくもあった。中心点をチューニングしてもらい、また仕事の方でも頑張れそうです。たぶん…(←これも曖昧?)

2007年8月27日 (月)

いっし~の東京脱出計画!

 考えてみればここ数年関東地方から出ていない様な気がする。3年くらい前に韓国に遊びに行ったけど、ソウルの街も繁華街は新宿みたいだったし…。とにかく前の会社では連休を取るなんて、それはそれは度胸がいる事だったのです。

 7月一杯で前の仕事を辞めたので、2~3日ふらっと旅立とうかとも思った。7月末に足を手術したのだが、当初はまぁ大した事ないだろうと…だが手術後、麻酔が切れるとこれが意外に痛かった。これは旅行どころではない。安静にせねばぁ~!(…おかげで大分良くなりました!)

 それにしても東京の空気ってなんか薄くないすか?なんか窒息してしまいそうです。精神上、絶対よろしくないよね。先日、友人にメールしたら「今、北海道におります!サイコーやでぇ~」と返信があった。くそぉ~、何でISHIを誘ってくれないのさ?

 って事でね。絶対夏が終わる前に東京“日帰り”(←いささか淋しい?)脱出計画(…まぁ僕は埼玉県民なのですが…)を密かに(!?)企てているのです!誰と行くかって?それはシークレットに決まってるじゃん!…と言っても誰も心配してくれそうにないですね(笑)。ISHIは一人旅が好きなんです!!

2007年8月 4日 (土)

i pod

 先週末、会社で施してくれた送別会でナント噂の(!?)「i pod nano」ってヤツを貰っちゃって痛くカンドーした。良く最近若者が首からぶら下げて音楽を聴いているが、ビンボー人の僻み根性からか、まぁ自分には必要ないモノと思っていた。「CDウォークマンで十分じゃん!」…。でも実際自分で使ってみて改めて便利だなぁって思った。

 それにしても昔に比べて音楽を聴くスタイルが随分変わって来たんじゃないかと思う。学生時代は一枚のレコードやカセットテープを耳の穴かっぽじって聴いていたものだ。でもここ最近は「~ながら」音楽を聴く事が多い。例えば部屋の掃除をしながらとか、通勤途中とか、車を運転中とか…それはそれで良いのかもしれないけれどなんか音楽自体が生活のBGMになってしまったとでも言うのだろうか。でも昔ドキドキしながら聞いた音楽は、もっと僕のハートにザクザクと軋む何かを残してくれたような気がする。それがモノラルのAMラジオから聞こえてくる音楽だったとしても…。

 「i pod」に収録したお気に入りの曲をヘッドホンで聴いていたら「この曲に使ってるアコースティックギター選ぶのに随分苦労したんんだろうなぁ」とか「このハイハットの音、録音するのにマイクの位置とか色々調節したんだろうなぁ」とか思わず勝手に想像してしまい、なんかドキドキワクワクしてきた。本当はこの10年くらい音楽を聴く余裕なんて無かったのかもしれない…。

 あっ、もちろん「ISHIオリジナル」も試聴してみましたよ(^^)v。早く新しい曲作れよ!なんて思ってしまいましたが…(笑)。

2007年8月 2日 (木)

入院記

 と、言う事で人生初の入院&手術を経験した。…こう書くと大げさかもしれない。たかが一泊二日の事だから。でも点滴をつけられ移動用ベッドに載せられエレベーターで運ばれテレビとかで見たことがあるようなオペ室にたどり着くと「あぁ、俺って病気なのかぁ」って今さらながら思った。さらに「では麻酔は背中から注射します」と言われ小心者のISHIは正直「あのぉ、やっぱり中止にしてもらえませんか?」と思わず泣きを入れたくなってしまった。

 手術は2時間で終わるとの事だったが2時間半くらいかかった。執刀してくださった先生が「いや、数年間ほっといただけあってなかなか大物がとれました」と言って取り出した17個の血管の残骸(?)を見せてくれた。「これ、持って帰りますか?」と聞かれたので「勘弁してください」と答えた。

 夜の病室はなんともいえない雰囲気だった。寝室はシーンとしているが廊下からは看護婦(あっ、いまは看護師って言うんだっけ?)さんらがガラガラと物を片付ける音が聞こえる。中学生の頃、堀辰雄の「風立ちぬ」や「菜穂子」だったかを読んだ事があるが(たしか病院ではなくサナトリウムだったと思うが…)なんかその本の事がやけに思い出された。イマイチ寝つけなかったので自宅から持ってきていた長谷川眞理子さんという進化生物学者の「クジャクの雄はなぜ美しい?」と言う本を読んだ。ダーウィンの進化論を基軸とした内容だがクジャクに限らずカエルの雄と雌との駆け引きなど、とても面白い内容でつい読みふけってしまった。いや、ここ数年ゆっくり本を読む時間もなかったので…。

 朝になったら大分痛みも取れていた。看護婦さんが「大丈夫ですかぁ?」って声をかけてくれた。この看護婦さん昨日は朝8時から夜9時過ぎまでいたんだよな。今日も8時前には出勤していたのでちょっとビックリ。「だ、大丈夫ですかぁ?」って思わず僕も尋ねてしまった。

 昼過ぎ無事退院。自宅に戻りしばらく休んでいたが、とりあえず歩く事は出来るので夕方にリハビリがてら散歩をした。西の雲が茜色に染まっていた。一体こんなにゆっくり空を見つめたのは何年ぶりだろう。吸い込まれそうな空と雲を眺めていたら今までの緊張感が少しずつ溶けて行くような気がした。

2007年7月26日 (木)

カウント・ダウン

 「週末に送別会企画してるので御参加ください」と部下に言われ「りょ~かい」と答えてしばらくしてから「えっ、あっ俺の為の?」って思ってしまった。気がつけば退社まで一週間を切っていたのだ。6月ほどではないけれど相変わらず忙しく昨日も夜中まで仕事していたしねぇ…新しい仕事の方も9月のクランクインに備え今日中に撮影日程プラン表なるものを作成せねばならず気がついたらやっぱり夜中になっていた…どうやら今年の夏は時間との戦いのようである。

 ところで「You tube」でISHIのライブ映像をアップしてるんだが、これが会社の若い子たちに見つかっちゃった(汗)。良くぞ探し出したとビックリしたもんだが、若い子たちはさらにビックリしたようで「いやぁ~普段の石村さんとは全然違いますねぇ~!カッコ良かったっすよぉ~」と褒められ思わず照れ笑い(^^ヾ会社では極力静かなる存在に徹していたので(?)マイクにしがみつきシャウトしているISHIをみて愕然としてしまったのだろう。ついでにダンスの映像もバレてしまい…実はISHIがいかに仕事しているふりして実はスーパー遊び人(…という表現が適切かどうか分からないが)だったか発覚してしまった次第である(汗)。

ごめんね、みんな。でも人生は一回だからねぇ…やりたい事はやらなきゃ損だよ!やりたい事のためならやりたくない事も頑張れるんだな。でもこういう環境を与えてくれた神様には感謝!っていつも思ってます(^^)v

ともかくここ13年のラウンドのファイナル・ゴングがなる日と同時に新たなる戦いのカウントダウンがすでに始まっているのです…。。

2007年7月19日 (木)

いっし~入院します!

 …ってか手術受ける事になってしまいました。えっ?心配?お見舞い大歓迎ですよ(^^)/でも残念ながら一泊二日ですからね。あっと言う間に終わってしまいそうです。

 右足に静脈瘤がある事は以前にも書きましたが昨年辺りから疲れると微妙な違和感を感じるようになりました。

「うぉ、そろそろ切った方がよいネェ」

「あの…切らなかったらどうなります?」

「まぁ死にはしないけどね…」

 そう先生に言われて帰って不安になってしまった。でも退院しても数日間は安静にしなきゃならないだろうし今の仕事に差し支えるのでなかなか踏ん切りがつきませんでしたが、こういう事になったので、この際肉体もリセットしといた方が良いと決断しました。次の仕事始まったらいつ休めるか分からないし…

 って事で昨日は検査に行ってきました。生まれて初めてCTスキャンってヤツにもチャレンジしドキドキ!でもなんで足の手術するのに胸のレントゲンとらなきゃいけないんだろう?と現代医療への不信感もちょっとだけ感じたりして…

 病院に行くと、あらためて健康の大切さを痛感します。僕は子供の頃、とても体が弱かったのですが、いつの間にか丈夫になりこの齢まで入院すらした事がありませんでした。だからそれが当たり前のように思えてしまいどこか他人をおもんぱかる気持ちにかけていたかもしれません。

 「入院中はお酒もタバコもダメですよ!」と美人の看護婦さんに言われ「マジですかぁ!」と言ってしまいましたが…この機会に肉体だけでなく精神のリセットも計りたいと思っています。復活したら必殺の(?)ケンカスキーターにバットマ、回し蹴りにもさらに磨きをかけますよ。頑張らなくちゃ…!

2007年7月15日 (日)

喜べ!BUZAN生(^^)v

 夜想会の日記にも書いたが8月末にクランクインする映画「初恋・夏の記憶」での最初のロケ地はなんと我が母校が使われそうである(まぁ、まだ確定したわけではないので念のため!)。先日監督とプロデューサーと視察に行ったが「うん、ここでいいね!」って話になった。

 いきなし校長室に招かれてね(中高通じて校長室に入った事など一度も無かったのに…)。校長先生から「なに、ツルゲーネフやるの?いいねぇ!是非うちの学校、宣伝してくれ!」とノリの良い言葉を頂いた(^^ヾ

 中学の教頭先生が校舎の案内に付き添ってくれたが、この先生はISHIの高2の時の担任だった。まぁ先生は多分、僕の事あまり記憶に残っていなかった事だろう。部活がハードだったので授業中は寝てばかりいたからねぇ(笑)「お前、どの辺の代だっけ?」と聞かれたので「飛び込みでオリンピックに行ったケイタくんらの代ですよ」と答えたら「あぁ、そうか」と言われた。

 当時は中等部が一学年200名くらい。高等部はたしか一学年700名くらいいたのではないかな。トータルざっと2700名の男子ばかりが狭い校舎にひしめきあっていた。ISHIは特別成績が良かったわけでもなく部活をやってた以外は目立たぬ存在であったが唯一自慢出来るとすれば中学・高校とも、皆勤賞を頂いた事だ。正確には中3の時、風疹で三日ほど休んだがこれは欠席扱いにはならないんだって。

 高1か2年の頃、裏にある護国寺で当時映画の「探偵物語」のロケがあってね。松田優作と薬師丸ひろ子が撮影していたので2Fにある体育館の裏の窓から覗いていたら体育教官にみつかってゲンコツをもらったことがある。最近のニュースでは教員のレベルの低下が問題になっているが、当時はレベルはどうかわからんが先生達は(特に体育教官は)恐ろしい存在であった。でもあぁいう“権威”ってのは今思えば大切なものなのかもしれない。

 さてはなしを戻そう。校舎を一回りした後、事務の方が「では具体的なお話はいっし~さんにすれば良いですね」と言い一枚の紙を渡してきた。学校使用の料金表であった。結構お高い値段ではないか!さっすが母校、商才に長けておる!「6年間高い授業料払ったのだからちょっとは負けてくださいよ」とはさすがに言わなかったけどね(笑)

 撮影日は全校生徒及び先生は行事のため学校には来ないそうだ。「では誰が対応してくれるのですか?」と聞くと先ほどの教頭先生が「俺がいるから大丈夫だ!」と言っていた。でもあの先生、何気に目立ちたがり屋だからなぁ~…「俺も出せ!」とか言われぬ事を祈ります(^^ヾ

2007年7月14日 (土)

辞表…

 人生初めての「辞表」ってヤツを書いた。好きなエッセイストの中谷彰宏氏は著書で「辞表を提出した日が人生最良の日だった」と書いてあったがISHIはそこまで楽観的な気持ちにはなれない。次なる戦いへの宣戦布告状とでも言ったところだろうか。

 ところで一般に「辞表」と言うけれど「退職願」とか「退職届」と言う言い方もある。一体どれが正しいのだろう?ネットで調べてみたら「退職願」ってのがベターらしい。よくTVとかでいわゆる「辞表」をバーンと上司に叩きつけるシーンもあるが…あれは、やっぱりよろしくないよね(笑)。書き方にもちゃんとお決まりがあって、まずは白い封筒と横書きの便箋が必要なんだとか…「間違っても茶封筒などは使わないように」と知ってあわてて白封筒を買いに行ったよ(^^ヾ。

 「私ことイッシ~は一身上の都合で…」と書き始めるんだけど「私こと」って文字は便箋の右端に書き、その後の文章は次の行に書くのが良いらしい…へぇ~知らなかった。無知と言うのは恥ずかしいよね。社長の奥様に「退職願」を提出すると「いよいよ、近づいて来たねぇ」と言われてしまった。

 まだあわただしいので得意先にはとりあえず、電話でご挨拶している。反応は様々…「えっ、辞めちゃうの?お宅の会社も大変だからネェ。やっぱその事が原因?」といっし~の身を案じてくださる担当もいれば「後任は決まってるの?あんた以外に話せる人いるの?」とも言われた。とてもコワい方だったがそこまで言って頂けると個人的にはちょっと嬉しい(^^ヾ。多少事情を知ってくださっている相手からは「やっぱり、そっちの世界に行くの?喰ってゆけるの?」なんて心配されてしまった。もっとスゴイのは「あんたが辞めるなら、もう取り引きやめるよ!」って言われてこれにはさすがに焦った。「ちゃんと、引き継ぎますから今後ともお願いしますよぉ!」となんとか納得してもらったけど…。「自分の存在は割りと大きかったんだなぁ」と今さらながら痛感しているのであります。

 転職ってのはあまり好きではないな。父親がひとつの会社に定年まで携わってきたのを見て来たせいかな?先日実家に行く機会があったので、告げようかと思ったけれど…ファザーはガァ~ガァ~昼寝していたので言う機会を逸してしまった(汗)。いくつになってもISHIにとって父親は恐れ多い存在のようです。

 それでも少しずつ、シフトチェンジを計る毎日…風の流れは明らかに変わってきました。

2007年6月30日 (土)

悪夢!…??

 今日は怖い(?)夢をみました。ISHIが彼女と想定される女性(仮にA子としましょう。実際にお付き合いしているわけではないので念のため(^^ヾ)とファミレスでデートをしていたら、隣に座っていたカップルだか夫婦の女性(B子としましょう)がこちらに来て「あれっ!ISHIくんじゃん」って声をかけてきたんですね。誰かと思いきや、遙か遠い昔、私がほのかな恋心を寄せた女性だったのです。。(夢の中の話ですからね!)

 B子からは「へぇ~ISHIにもやっと彼女が出来たんだ!」とかからかわれるし(←まったく大きなお世話デス!)、A子からは「ちょっとぉ~、あの女性とはどういう関係なの?」みたいな目でにらまれるし…そのうち当時の悪友たちも集まり大騒ぎになってゆくと言う…もう汗ビッショリになって目が覚めました(笑)

 しかし夢というのはリアルですな。もうすっかり忘れてた過去の記憶のはずなのに潜在意識の中にはちゃんと根付いていたんですね。ちなみに夢の中のISHIはやっぱりカッコ悪く終始下ばかりうつむいており、目が覚めてからもしばらく自己嫌悪に陥ってしまった(笑)せっかく夢の中だったんだし、この際口説いとけば良かったかなぁ~???

 でも現実では逢いたくないですね。だって当時10代だったその女性も、(夢の中ではそのままですが)、実際はISHIとほぼ同い年ですからねぇ…おそらくは結婚して子供もいる事でしょう。きっと幻滅してしまいそうな気がします。やっぱり夢の中だけで良かったかも…

 それより現実でちょっとは人並みのシアワセをゲットする事考えた方が良さそうですね(笑)

2007年6月29日 (金)

同世代の活躍に期待!

 最近、懐かしい友から良く連絡が来る。ひとりは某大手会社の社長のマネージャーになったとの事。元々はやっぱり音楽の道を目指していて、そっちでも頑張っているみたいだからとても嬉しかった。もうひとりの友もしばらく音信不通だったが今や自分で会社を立ち上げ順調らしい…いや、出世する事がいいって言う事じゃなくてね…みんな、頑張ってるんだなぁ…って話聞くとISHIもファイトが沸いてきますp(^^)q

40代にもなると世の中の仕組みも見えてきて「どうせこんなもんさ」って感じになるもんなんだろうけど、そうとばかりは言えないよね。少なくてもいっし~の周囲の同世代の頑張りを見て僕もますます果敢に行きたいものです!

 同世代の誇るべき代表は何つったってメジャーリーグで頑張ってるパイレーツの桑田真澄だね。イチローから三振取っちゃったもんね。あのイチローが脱帽して言ったんでしょ?「一球一球に意図があった」って。もう誰も「投げる不動産屋」なんて言うヤツは誰もいないよ!

 ISHIにとって30代はバランスをとる10年だったような気がします。40代はそれらを糧にし再び「転がり続ける十年」になるかもしれないね…結構毎日ドキドキしています!

 

2007年6月23日 (土)

友情

 この年になって「友情」なんて言葉を使われると吐き気がしてしまう。「友情」…「友の情け」って書くんだろ?ハッキリ言おう。「僕はキミに情けをかけたつもりだけどキミは僕に情けをかけてくれたのかい?」みたいな…??。。

 「友情には期限があるんだよ」と言っては言い過ぎだろうか?いやいや、一概にそうとも言い切れない。10年以上逢って無くても「親友」ならぬ「心友」はISHIにも何人かおる。(僕が勝手に思っているだけかもしれないが…)。

 では「友情ってのはギブアンドテイクなんだよ」と言ったらどうだろう?僕はキミに「ギブ」したつもりだよ…。キミは僕に何を「テイク」してくれたのか?。「テイク」は別に何でもいいんだ。はるか遠い昔、僕が落ち込んでいる時にかけてくれたキミの一言だっていいし、キミが「誰か」のために捧げた一曲の詩(うた)でも、その曲が僕の胸に響けば、とキミとの友情関係は成立する…。

 

 20代「親友」だと思ってた人と些細な事ですっかり疎遠になってしまった。でもそれは仕方の無い事。俺の常識、アンタの常識…大人になれば変わってくるものだと思う。時が来れば笑い合える日も来るはずさ。だから外野で余計な事をしてくれるな!いくらケンカしたって心友は「心友」なんだから!

 もしISHIの「心友」が窮地に立たされて、僕に助けを求めるなら僕も可能な限り、力になってあげたいと思う。だけどこちらの都合も考えずに「友情」の名を借りて「俺たち、友達だろ!」みたいに軽はずみに言ってくるヤツとは金輪際、縁を切らせて頂きたい。「優しさ」だけが友情ではない。時には突き放す事もまた「友情」だと思うのだ。

 

2007年6月20日 (水)

水沢花音子さんのライヴを観に行く

P1010001_2  先日久々にライブハウスに行って来た。と言ってもロックの店ではない。ジャズやボサノバなどを聞かせるバーだ。

 この日、メインヴォーカルを務めた水沢花音子さんとは知りあってもう10年くらい経つだろうか?当時はたしかアイドルポップスを目指していたようで(?)僕もバックでギターを弾いたこともあった。ジャズシンガーとして活動後も何回かステージを見せてもらった事がある。僕はこのジャンル、まったく無知だけれど良いものと良くないものを識別する力はあると思うよ。

 幾多の苦難を乗り越えてきた彼女の歌はまた一歩進化していたと感じた。その点では演劇でも音楽でも同じなのかもしれない。いい加減な人生を送ってきたヤツの歌はいくら上手くてもやっぱり心に響かないものだ。職業歌手として活動する中で、色々迷いもあることだろう。こういうお店で歌う歌は時としてBGM代わりになってしまう事もあるが彼女のステージは思わず、話を中断して酔いも覚め聞き入ってしまうなにかがある。

 哀しいを表現するためにはもっと多くの哀しみを背負い込まねばならぬのかもしれないけれど…実生活ではもっともっと幸せになってほしい!彼女の今後に熱いエールをおくりたい。

2007年6月14日 (木)

鎌倉の朝日

先日、鎌倉の現場に行った。予想はしていたが忙しくて気がつけば夜中になっていた。明日の朝にはあげなくればならない仕事だったので、車内で寝る事にした。3時間くらいは寝れるだろうか?車のシートを倒し身を沈めていたら空はすでに明るくなっていた。いつかみた空だった…。。

 大学生の頃1年間だけ藤沢に住んでた事がある。もう20年以上前の事だ。よく夜更かしをして、明け方の光を見ながら10年後自分はどうしてるんだろうと考えていた。10年どころか20年経ってしまった。

 不器用ゆえ失敗ばかりだったけど、久々に浴びた神奈川の太陽は「もっとやっちゃいなよ!」と語りかけてくるようだった。棘の道はこれからなのかもしれない…。。

2007年6月 2日 (土)

歯車

 最近僕はすかり社会の歯車と化してしまったような気がしてならない。歯車…たしか芥川龍之介の小説にもあったっけか?高校時代そんな曲を作った事もある「社会の歯車なんかにゃならねぇ!」みたいな…。

 そこそこの生活をしておる。このパソコンもゴダンのエレアコもフェンダーのテレキャスも…いやいや、このマンションだって社会の歯車と化したからこそ得られた産物なのかもしれない。

 だが、このまま人生終わってしまっていいの?と問いかけてくるもう一人の自分もいる。世間の多くの大人たちはそう言う声をどこかで振り切って大人になったんだろうね。不器用なISHIにはどうも出来そうにありません…。。

2007年5月29日 (火)

ユウジ・・・

 友と初めて出逢ったのは忘れもしない1993年の夏、ヴォイス・トレーニングの合宿である。ストレッチをしている僕の所に歩み寄り「自分、芦原会館やろ?キミの事、稽古で見たことあるで。」芦原会館とは当時ISHIが通っていた空手道場だ。極真空手から分派したいわゆる“ケンカ空手”。今、現在お世話になっている劇団夜想会主宰の野伏翔氏の薦めで始めたのだが、まさか音楽の場で空手の道場生と出逢ったのにはいささか面食らった。

 「われがストレッチしてる姿見てピンと来たで。」と友は言った。ISHIはこの合宿に少々物足りなさを感じていたが、彼が休憩中、何気なく爪弾いたギターテクニックの奥深さに思わず戦慄を覚えた。(ヴォーカリストを目指すヤツに、こんなギターを弾くやつがいたんだ)…。

 その後、友は僕と盟友のナガシマ氏が企画したイベント「Voice to Voice」にも何度か出演してくれ、また友が勝負を賭けたオーディションライブにも役不足ながらコーラスを担当させてもらった事もある。彼と僕はあまりにも生き方が違ったが、だからこそ感じあえるものがあったのかもしれない。

 シンガーとして活動しながらも某有名アーティストのバックバンドのギタリストとして活躍する友をブラウン管越しに見つめながら友の成功を祈ったものだ。

 友はやがて入籍し子供が生まれたらしい。風の噂で知った。だが年賀状を出してもDMを出しても友は返事をくれなかった。

 先日、友の親友からメールが来た。「夏に披露宴をするから来て欲しい」と。…まったくふざけた話である。こちらがどれほど今まで心配していた事か…。俺たちはフルコンタクトな間柄だったはずだ。何故、第三者を通じて連絡してくるんだ?だが一方でこういう思いもある。男同士はたとえ10年逢わずとも、もし再会した際には昨日の友のように語りあえる筈…友の人生に苦闘している姿を想像し、ついつい苦笑いしてしまう…ユウジも不器用な人生送っているねェ…。

 友にはひとつだけ頼みたい事がある。沢山の素晴らしい曲を持っている彼だが…もしも万が一(!?)ISHIが結婚して式を挙げる際には(相変わらず、その気配はまったくないのだけれども…)、キミの名曲「ガレージ」(本当のタイトルはなんて言ったっけ?)を歌ってくれないか。そうしたらISHIももっともっと頑張れるような気がするんだ。

 イマイチ生き方に不器用な友の幸せに心からエールを送りたい…!!

2007年5月16日 (水)

父親…

 僕にとって父親とはコンプレックスの対象だったのかもしれません。とにかく厳しかったですからねぇ。子供の頃はよくブン殴られたものデス。ひ弱な僕が高校に入ってから格闘技を始めたのも「いつか父親に勝ってみせるわい!」という裏うちだったのかもしれません。学校卒業後、僕はフリーの道を選びましたが、それも一生ひとつの会社に身を置いた父とは違う道を歩きたいという反発もあったと思います。

 今日、老いた父親がちょっと怪我をしました。幸い大事には至りませんでしたが…。遅ればせながら「母の日」を祝おうと実家に行ったら父はすっかりゴキゲンが良くなりすぎて、階段でコケちゃった…「おいおい、大丈夫かよ?」と心配してやったら「孫の顔を見るまではくたばれんわい」と逆襲されてしまいました…(汗)。

  「老い」 を見せる事ってのはスゴイ事なのかもしれません。まだまだ若造のISHIには出来ません。いつか超えるべき存在の父親がいつの間にか小さくなってしまった姿を見て、僕は逆に「あぁ~、まだまだ親父にはかなわない」と思いました。ISHIは果たして自分の子供に(…出来るかどうかも分からないけれど)、大きな壁として立ちはだかる事が出来るでしょうか?…ともかくまだまだ親孝行は出来ないようです。。P101000750

2007年5月14日 (月)

「青春のバ・カ・ヤ・ロ・ー!」

 …って歌を20代の頃に書きました。とにかく20代の頃は何をやっても失敗ばかりで落ち込んでばかりいました。「青春」と言うよりは「灰春」と言った方がいいかも知れません(??)

 でも時を経てみるとそういうガムシャラに走っていた時期が眩しく感じられてくるから不思議です。そういえば、最近は“失敗”しなくなったよなぁ…まぁ社会人としては自分の失敗が他人をも巻き込んでしまうこともあるので、行動は慎重になってしまいますが…プライベートではもっと大いに失敗した方が良い!…なんて考える今日この頃です。

 結局「俺に出来るかなぁ?出来ないだろうなぁ…」って思ってる事をスパっと勝負かけられるかどうかが自分の若さのリトマス紙かもしれません。でもひとつ気づいたのは昔は失敗するたびガックリ肩を落として落ち込みましたが、最近は落ち込みながらも「エヘッ、またやっちゃったよ!」とどこか自分を笑い飛ばせる余裕が出てきたような気がします。いくら鍛えても肉体は老いてゆくのでしょうが精神的の若さは保ちたいものですよね。まだまだ「人生なんてこんなもんさ」なんて分かったような事を言いたくないと思ってます。

 殺風景な部屋に飾ったなんともミスマッチなピンクの花が僕に元気をくれるのです!P512001450

2007年4月29日 (日)

「ホンモノ」になりたい!

 久々のオフをまったりと過ごしてます。早